スポーツ

2007年9月 7日 (金)

太極拳により免疫状態が強化

 UCLAの教授らは、太極拳により高齢者の低下した免疫状態が強化されることを発表しました。

 帯状疱疹は、60歳を超えると約3分の1が罹り、非常に強い痛みを伴い、2型糖尿病、うつ病、うっけつ性心不全などと同等に生活機能を低下させる疾患です。

 59歳から86歳の中高年者112例を対象に今回の研究は行なわれました。対象者は、食事、睡眠、ストレス管理などに関する教育講義を受ける健康教育群と太極拳を行なう太極拳群に無作為に分けられた。

 全員が試験開始16週目に帯状疱疹の弱毒生ワクチンの接種を受けた。その後、水痘帯状疱疹ウイルスに対するワクチン接種の前と後の細胞免疫のレベルを測定した。

 水痘帯状疱疹ウイルスに対する細胞免疫のレベルは、健康教育群と比較して太極拳群は約2倍と有意に高かった。太極拳のみによる細胞免疫の上昇は、ワクチン接種のみによる免疫水準とほほ匹敵した。

 太極拳群のワクチン接種により細胞免疫はワクチン接種後に最高となったことから、太極拳とワクチンとは相乗効果があると考えられる。

 太極拳という有酸素運動がどのような機構を介して低下した免疫状態を強化できるのだろうか。信じがたい気もしないでもないが、頭から否定することは避けるべきでしょう。有効性のカラクリが把握できることを期待したいものです。

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2007年8月 4日 (土)

朝青龍は引退すべき?

 サッカーであろうと野球であろうと、横綱がなにを楽しんでも悪いことはない筈です。ところが今回は相撲協会から厳しい処罰を受けてしまいました。

 相撲協会の横綱朝青龍に対する処分が適切であったのであろうか。罰が軽すぎるとか、重すぎるとか、カワイソウという問題のとらえ方でなく、本人にすると取り返しの付かないきわめて不名誉な処罰をなぜ受けるようになったのかをもう一度考えてみたい。

 体の故障で夏巡業の休場を申したが、休場が正式に決まらないうちに無届で帰国してしまった。それだけでなく母国モンゴルでサッカーをしていたというのである。

 モンゴル大統領かモンゴル政府から頼まれてやったことと理由を説明したようです。しかし、横綱としての務めを放り出して、モンゴルでサッカーをしていたことは、相撲協会の今回の処分よりも恥ずべき行為と思います。

 蒙古人の横綱朝青龍は、日本の国技である大相撲の屋台骨を1人横綱として支えてきた、そのうえ優勝を21回も成し遂げた。朝青龍にすると自分以外に大相撲の土台を支える力士はいない、朝青龍がいて初めて大相撲が成り立っていると考えていたかもしれない。

 アメリカの大リーグにピート・ローズという大選手がいました。彼は、通算4256本の安打を打つた大記録の持ち主でありました。ところがどうしたことか「野球トバク」の疑いをもたれ、ピート・ローズ選手はコミッショナーから永久追放の処分を受けてしまいました。

 そのときのコミッショナーのジアマッティ氏は、「ピート・ローズ選手は大選手ではあるが、野球よりも大きな人間は1人もいない」といったそうである。

 朝青龍は、何十回優勝した大横綱であっても、大相撲よりも大きな人間は1人もいないことを知るべきでした。個人までもが偉くなったように勘違いしてはいけません。

 昨日の私のブログに「つもり違い10か条」を掲載しました。「つもり違い=勘違い」である。朝青龍は何かを勘違いしています。これまでの行為は水に流しても、今回は永久追放の処分でも良かったのではないかと思います。厳しすぎますか?

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2007年5月28日 (月)

ホームラン王が病名になった

 ルー・ゲーリッグは紳士的な態度で知られていました。しかし、現役生活の17年目に、今現在も難病中の難病である「筋萎縮性側索硬化症」に侵されてしまいました。そのため1939年5月の試合を最後に引退しました。そして1939年7月、ヤンキースタジアムで引退式が行われました。引退式が行われた米国で最初の野球選手となりました。

 やがてルー・ゲーリッグは歩けなくなり、引退式から2年後の1941年に、筋萎縮性側索硬化症が悪化したために、38歳の誕生日を目前にして多くの野球ファンに見守られながら亡くなりました。満塁本塁打23本は21世紀を迎えた今も、誰にも破られない大記録として輝いているそうです。

 ルー・ゲーリッグ病とはとんな病気なのでしょう。筋萎縮性側索硬化症(ASL)は、1874年にフランスのシャルコール医師によって最初に報告されて以来、いまもって治療法も症状の進行をおさえる対処法もありません。

 運動をつかさどる神経が侵され、筋肉がいしゅくする、原因不明の進行性の神経系の疾患です。腕、顔などの筋肉および話すことや飲み込みなどの筋肉も侵されます。最終的には呼吸する筋肉も侵されてしまいます。

 しかし、思考能力、目の動き、便通、性的機能はあまり影響を受けないようです。ALSは、一年に人口十万人に一人の割合でかかる病気と言われ、非常に珍しい病気です。また40歳以上で、かつ、女性より男性の方がやや多くかかるとも言われています。約半数の人が発症してから3年から5年以内に亡くなります。最近になってようやく、ALSの進行を遅らせる薬が開発されています。

 ルー・ゲーリッグ選手は、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースの花形選手として、ホームラン王のベーブ・ルースとともに大活躍しました。彼が放った満塁ホームラン数は、いまもって破られない大記録だそうです。

 そのようなヒーローが突如として選手生命を絶たれるような筋肉が侵される病になりました。原因も治療法も判らない、珍しい病気で、病名も難しく日本語では筋萎縮性側索硬化症、英語ではAmyotrophic Lateral Sclerosis と言います。アメリカでは、いま現在も「Amyotrophic Lateral Sclerosis」と呼ぶよりは、あのルー・ゲーリッグ選手がかかった病気=「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれるようになったのだと思われます。

 ルー・ゲーリッグ病の原因は微生物の関与が疑われてはいます。しかし、いまもって微生物が原因とは決まっている訳ではありませんが、病名に名を残した野球選手ルー・ゲーリッグを紹介しました。

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2007年5月27日 (日)

病名に名を残したホームラン王ゲーリック

『ニューヨークヤンキースのホームラン王ルー・ゲーリッグ選手』の物語です。最初は野球選手としてのルー・ゲーリッグ選手について触れます。彼を取り上げるのは、ルー・ゲーリッグ病と彼の名前がついた病気があることを紹介するのが主な目的です。

 ルー・ゲーリッグは、戸籍上の正式名はLudwig Heinrich Gehrigで、通常はHenry Louis Gehrigであったようですが、略して“Lou”Gehrig(ルー・ゲーリッグ)と呼ばれていたようです。

 ルー・ゲーリッグは、1903年にニューヨーク市マンハッタンでドイツ系移民の家庭に生まれ、ニューヨーク市マンハッタンにある名門私立大学であるコロンビア大学を卒業しました。

 20歳でコロンビア大学を卒業するほどの良くできる学生であつたようです。20歳でプロ野球選手になったのですから、飛び級で卒業したに違いないのです。

 1923年からニューヨーク・ヤンキースの選手として、ホームラン王のベーブ・ルースとともに活躍しました。当時としては3人目となる1試合4本塁打を1932年に記録し、1934年に打撃三冠王となりました。1939年までの17年間に2130試合に連続出場しました。

 1934年に全米プロ野球選抜チームの一員としてルー・ゲーリッグは来日しました。誕生して間もない日本職業野球倶楽部を全米選抜チームは9戦全勝で圧倒しました。

 ところが、沢村栄治投手の快速球によって全米選抜チームは、あわや完封されてしまう危機一発のときに、全米軍を救ったのがルー・ゲーリッグのホームランでありました。ゲーリッグは、快速投手沢村栄治の名を伝説として残すことに貢献しました。

 豪快なベーブ・ルースに対して、ルー・ゲーリッグは紳士的な態度で知られていました。しかし、現役生活の17年目に、皮肉にも難病に冒されてしまい、1939年5月の試合を最後に引退した。そして1939年7月、ヤンキースタジアムで引退式が行われました。引退式が行われた最初の選手となりました。

 つづく。

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